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論理語、感情語とは、論理的な話し方で伝える大切さ

言葉には感情語と論理語の2種類があります。
たとえば感情語は「ウザイ」とか「ムカつく」のような感情にまかせて突発的に発言するような言葉です。
このような言葉は赤ちゃんがお腹が空いたからと泣いたり、犬が吠えたりするのと同じだとも言えます。

自分が不快だからと、「ウザイ」「ムカつく」と言うだけで、それが相手に伝わらなかったり、理解されなかったりするとキレたり、引きこもったりするのは、お腹が空いた赤ちゃんが、泣いてもミルクをもらえないとぐずるのと一緒と言えるのです。

感情語は生まれながらに肉体にこもった言葉で、自分の感情や感覚を表す言葉です。
原始的な言葉とってもよく、自分の主観だけの、他者意識のない言葉なため、それだけでは相手に伝わらないことも多くあります。


例えばお腹が痛いからと病院にいった場合、医師に「どうしましたか?」と聞かれて「痛い」「なんとかしてくれ」と感情的な言葉を繰り返しても医師には具体的な事が伝わらず治療することができません。

普通は医師に「お腹のどの辺りが痛いか」「どんなふうに痛いか」をしっかり説明します。
たとえば「胃の辺りが痛いのか」「下腹が痛いのかとか」「シクシク痛いむのか」「つかまれるように痛いのか」

この場合の「痛い」というのは感情語、そして、どこが、どう痛いのかを説明するのが論理語というわけです。

このように、、ムカついているときでも、「ムカつく」というだけでなく、なぜ、どのようムカついているのか他人にわかってもらいたいなら、きちんと伝わるように説明しなければいけないのです。
自分の感情を伝えたいからこそ、感情語ではなく、論理語を使って論理的な話し方をしなければいけないのです。

感情語と違い、論理語は他者意識が前提になっています。
自分の思いや意思、考えをどのようにしたら他者にわかってもらえるか、そうした意識があるから論理語を使うのです。

自分の不快な気持ちを相手に説明しようともせず、誰かが自分の不快な気持ちを察して、それを解消してくれることを期待しているようならば、その人には他社意識のかけらもないということですね。

感情語は肉体にこもった言葉ですが、論理語は後天的な言葉、つまり学習や教育によって身につけられる言葉です。
そのため、現在の自分が論理語や論理的な話し方ができないからと嘆かなくても、正しい言葉を学習し、他者意識をもって相手がどう考え、相手はどんな人か、そうしたことを考慮して話すように心がけていけば、論理語は身についていくものです。


例えば、「課長のやつ、ムカつくな~」と言っていたのを「課長ってば、提出した書類をろくに見もしないでやり直しだって、頭にくるよ」と話し相手に伝わるように話すようにします。

そして、他者意識が身についたら、次に必要となるのが論理力です。
論理力とは「物事の道筋を理解して、それをきちんと説明するための力」をいいます。
人は例え親子であっても、別個の体験をしている以上、完全にわかりあうことはできません。
ましてや見知って間もない他人ならなおさらです。

どんな深い関係でも、どれほど長い付き合いでも分かり合えないというのは寂しいことでもありますが、だからこそ理解し合いたい、良い関係を築きたいと思い、論理を身につけようとするのです。

そして、自分の話をきちんと伝えられるような論理的な話し方というのは、ある程度、意識してする必要があるかもしれません。
それが身についている人でも、初対面の人、あまり親しくない相手であれば、相手のことをいろいろ考えて話をするわけですから、そう考えると、やはり意識的な話し方をする必要は多少なりともあると思うのです。

そして人は恋人でも友達でも、知り合って仲良くなるまではお互いのことを良く知るために、いろんなことを話して分かり合おうとします。
そのときには、論理的な会話もしていて論理力も身についていきます。
ですが、仲良くなってしまうと、コミュニケーションというよりも会話という行為そのものを楽しむようになるため、あまり論理力は向上しなくなっていきます。

そのため、いろんな人、できれば自分が苦手だと思っている人とも積極的に付き合い、会話をしていくことで論理力はどんどん向上し、コミュニケーション能力も向上していくのです。



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