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鉄血宰相ビスマルクとは、その歴史と名言

1834年のドイツ関税同盟は、ドイツの経済的・政治的統一の土台となりました。
この中心となったプロイセンの王ヴィルヘルム1世は、ビスマルク(オットー・フォン・ビスマルク)を首相に起用しました。
議会を無視した軍備拡張政策は、「鉄血政策」と呼ばれたのです。
また、統一まもない1875年、ドイツ国内では世界初の社会主義政党が結成され、社会主義運動が盛んとなります。
これに対しビスマルクは、保険諸法や労働保護制度の整備などを進める一方、厳しい弾圧を加えました。
こうした硬軟両面の政策は、「アメとムチ」と評されました。

ヴィルヘルム1世とビスマルクに率いられたプロイセンはドイツ統一を目指しましたが、第二帝政下フランスのナポレオン3世がこれに干渉しました。
1870年7月、フランス側の宣戦布告でプロイセン=フランス戦争が勃発します。
9月2日、スダンの戦闘で包囲されたナポレオン3世はプロイセンの捕虜となり、フランス第二帝政は崩壊します。
翌71年1月のパリ開城でフランス側の敗北が決定しました。
パリ包囲中にヴェルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立が宣言され、ドイツは国家統一を成し遂げました。


ビスマルクの生誕

1815年4月1日 – 1898年7月30日。
プロイセン王国の純粋な土地貴族ユンカーの家に生まれた。

ビスマルクの名言

・愚者は経験から学ぼうとする。私は他人の経験から学ぶ。
・戦場で死にゆく兵士のその虚ろな目を見れば、戦争を開始することに否定的になるだろう。
・外交文書では慇懃に。宣戦布告についても同様にあてはまる。
・人々は、狩りの後、戦争の最中、選挙の前には、嘘をつく。
・政治は正確な意味において科学ではない。術である。
・重要なことは歴史を創ることで、歴史を書くことではない。
・世界を誑かそうとするのであれば、真実を告げよ。
・銃剣を使えばなんでもできる。でもそれに安住はできない。


鉄血演説

「言論や多数決によっては現下の問題は解決されないのであります。
言論や多数決は1848年、および1849年の欠陥でありました。
鉄と血によってこそ問題は解決されるのであります。」

鉄血宰相の意外な一面

鉄血宰相ビスマルクは、強権的な社会主義者鎮圧法を制定し、議会をないがしろにするような政策を採る一方で、災害保険や健康保険、老齢年金などの社会保障制度を整備していきました。

ドイツで初めて制定された疫病保険などの社会保険の仕組みは、その後、世界各国で導入されるようになります。
現在、我々が安心して生活できるための社会保険の基礎が、独裁者の様相が強い鉄血宰相の「アメ」の政策から生み出されたとは驚きなことといえます。



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